大人が学ぶ公文式
大人になって頭を鍛えたいと思えば何が思い浮かぶでしょうか?
私は公文式が効率良い学習方法の1つだと思っています
ちなみに公文式は大人も子供も同一のカリキュラムなので、20年以上勉強から遠ざかった大人には中学レベルの数学すら分からない事が有ると思います。
しかし、39歳から3年間公文に通った私の個人的経験では、公文式のお陰で以前とは比べものにならない位、頭が回る様になりました。
資格試験や、スキルアップを目指すのであれば、頭の回転が悪い現状を長時間の努力でリカバーするより、一見遠回りに感じるかも知れませんが公文式で基底能力を向上させてから挑む方が効率がよいと思います。
とはいえ、この話は私個人の感想であり、一般化出来る物ではないので、どなたか実行した上での感想を伺いたいですねぇ。
私の場合偶然効果が出たからラッキーでしたが、全く効果を感じることが出来ないまま終わるかも知れないので、そこは自己判断でお願いします。
毎回おでこの上が熱くなる
以前の記事にも書きましたが、公文を始める前まで2次関数はおろか、対数、三角関数に至まで全く分かりませんでした。
なにげ無く通い出した公文式は、私の気質に合っていたみたいで、週2回の宿題提出日に追われながら毎日せっせと数学に励んでいました。
最初は無機質な計算問題ばかりで、公文と言えばザ計算!みたいなイメージですが、ちょっと込み入った微積の問題を解く場合に正確な四則演算が大きな武器になるのでバカには出来ません。
全くのお馬鹿さんだった私は、小学生の足し算からスタートして、高校三年生の確率で英語に科目変更するまでずーーっとしんどかったです。
問題プリントを目にする度、頭が重くなり、極度の睡魔に襲われていました。
おでこの上が熱るような感覚に襲われ、詰まりきった能の血管をバイパスていたのか、毎回頭痛がひどかったです。
公文を始めるまで、繰り返しの作業は苦も無く再現出来ましたが、新しいタスクを覚えることも理解する事も苦手で、四六時中頭に霧が掛かっている感じでした。
仕事では、分からない事に直面すると、その場硬直!
何が分かっていないのか、どうすれば良いのかを全く考える事が出来ず、気持ちばかりむなしく空回りしていました。
人に教えを請うても、音は聞こえていますが、言葉が表記するイメージを頭の中に再現出来ないので脳みそのなかは常に???マークが点灯していました。
「分かりません、ちょっと教えてくれませんか?」と素直に表現出来れば良かったのですが、こじらせてしまった変な見栄が自分を縛って、どうしようも無いボンクラだったと思います。
結局なんだって良い
百マスだろうが公文だろうが、ツールに悩む位なら、ひとまず思いつくカリキュラムをスタートする事が一番大切なんじゃ無いでしょうか?
僕の場合たまたま公文の数学がハマッたので贔屓目に見ているだけかも知れません。
けれども、40歳を超えているのに人生で一番記憶力や理解力が発揮できるのは、公文式のお陰だと断言出来ます。
三角関数も数式を眺めるだけではイメージが出来ませんが、
頭の中で斜辺とY軸の比率がサインで斜辺とX軸の比率がコサインなど、高校レベルの数学はイメージで考える事が出来るようになってから設計の仕事や、機械装置の修理もイメージを膨らませて取り組むことが出来るようになりました。
以前の私は、学校の勉強なんか世間に出ると全く役に立つ物では無く、無駄な行為だと誤解していました。
今は学校教育をとことん突き詰めると、ひと味違う世界が見えて来ると感じます。
まとめ
後日詳細の記事を書こうと思いますが
過日に油の濾過器を全く未経験でしたが作って見ました。
頭の中にぼんやりとしたイメージがあって、材料を見ながらイメージに寄せていく感覚です。
実際に部品を作って行く過程で、事前に気付かなかった不具合等も露呈するけれど、それをクリアランスする方法がこれまた思い浮かぶのです。
とにかく、基本的な勉強を3年間継続する事で、解決の方法をいくつも思いつける様に変化しました。
アイデアが無限に湧いて来るイメージと申しましょうか、ぼんやりと脱力した時や、起き抜けのまどろんだ時に、頭で考えるのとは又別のアイデアが湧くのです。
こんな能力は、公文式をするまで一切無かったので、私の場合公文のお陰で手に入れることが出来ました。
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