3回目のヴィパッサナー瞑想10日コースに参加

久しくブログの更新が止まっていたのは、処理すべきタスクが有るのに集中力が減退していたことが原因による作業速度の低下以外に、年に1度の大切なルーティン。
ヴィパッサナー瞑想センターへ赴き10日コースへ参加していました。
瞑想法の存在を知ってから年に1回10日コースに参加するようになってから早くも3年。毎年コースを終え、帰宅してから瞑想を継続していたけど自分の中では何が正しいのか分からないまま漫然とタスクを処理する事が目的化している事に疑問を抱きながらの参加でした。
3回目の参加なので細かな部分は忘れていても、全体的なスケジュールは覚えているし身体も慣れているので快適に10日間座り続ける事が出来ました。 コース中は平静さを保ちながら内なる自分自身の感覚を観察する事が重要なのだけど、昨年まではコース中にコースマネージャーから何度も注意を頂いたり自分自身のミスでモヤモヤした気分を切り替えられなかったりしたのが懐かしい。
今まで瞑想は良いものだと言う薄っすらとした信頼は有り、実生活に於いても良い効果を実感する事がありました。しかし今回は薄い信頼が確信に変わり、真剣に取り組むほどに得るものが多い実践的な技法だと思うようになりました。
頭で考えた決意では行動を変化出来ない問題
例えるならば、新年にダイエットや自己啓発などを硬く決意しても数日後には石の様に硬かった決意がどこかへ霧散してしまい決意すら忘却の彼方に消え去る経験は誰もが理解できると思います。
ではなぜ決意が継続しないのでしょう?
その理由は明快で頭で考えた表面的な意識では人間を動かしている心の深い部分をコントロールする事が困難なのです。
心が人間の行動を制御しているのに、頭と心は直接ケーブルで繋がっていません。
そして、心→感覚→思考 という様に情報の階層が構築されており、心が外部の様子を理解するには人間の身体に発生する感覚を通じてのみシグナルを得る事が出来ます。
私はこの事実を理解できないまま自身の行動変容を試みて挫折する事を繰り返していました。
思ったことが実行出来ないのは自分に問題が有るのではなく、システムの無理解と適切なアプローチを理解していない事が原因だったのです。
ではどうすれば良いのか?
自分の感覚を認知する事こそが唯一の方法。
そして感覚を認知するには意識を身体の部分へ投射する必要がある。
例えばかになるが、手の甲に蚊が止まると微細な感覚を認知した刹那、手の甲へ意識がフォーカスして感覚がクリアになるように、意識が肉体に触れると感覚が発生する。
その感覚を観察するのだけど、こればかりは実際に体感してもらわないと理解できない世界。
実践を通じた理解
3年前に一緒に座った天理教の3代目と偶然にも今回再び出会い、コース終了後にお話したのですが世の中には良い教えと言うものは本当に沢山あります。
しかし、良いものを信じなさいと言う段階で話は終わり自分自身が良い教えを体感できるプロセスが欠落している。それは前に述べた新年の決意と同義。
しかしヴィパッサナー瞑想の特長は自分の体験を伴った感覚の理解を通じ、話を信じるだけではアクセスできない心の奥底までアプローチをできるのが大きな特徴だと言う見解で一致しました。
そうなのです、講演会やセミナー、辻説法などでどれほど良い話を聞いても行動を変える事が難しいけど心の奥にある自分自身が身体に発生する感覚を実感すると、知らない間に行動が変わって行くのです。
変えようと思うのではなく、自然に変化して楽になって行くのが不思議だし何度か経験すると瞑想に抱いていた疑念が消え去り、得られる恩恵を信じてしまう。
母との確執
個人的な話だけど、私はキュウリを食べる事が出来ませんでした。
今までは味が嫌いだと理解していたのですが、今回の瞑想ではっきりしたのは幼少期に苦手なキュウリを母親から無理強いされた嫌な記憶が味と結びついて食べる事が出来なかったのです。
そして、彼女自身も大変だったとは思いますが私の中にある、母親から得た多くのつらい記憶が消えることなく心へ刺さり続け、消えることの無い嫌悪感を抱きつついつしか12年以上私から連絡を取ることは有りませんでした。
しかし、今回のコースで自分自身の心に向き合う技法を理解し実践する事で、母親に対する怒りや嫌悪感が消え去り驚くほど穏やかな心境になれたので、初めて私から母親に電話を掛けて近況を話し合う時間を持つことが出来ました。
すると不思議な事に、あれほど苦手だったキュウリを食べる事が出来る様になったのが不思議。
おそらく、問題の根っこを解決する事ができたのでしょう。
まとめ
今回のコースを終え、瞑想って単に目をつむって鬼の忍耐力で時間を浪費しているのではなく、実は心が抱える問題を根っこの部分から改善できる素晴らしい技法であると確信しました。
現代は多くの簡易的な刺激があふれ、新年の決意の様に思考に頼る表面的な技法が多いと感じる。
身体の外から問題の改善を行えば、一時的には問題を小さくすることは可能だがその下には問題の根っこが残っており、どこかのタイミングで再発してしまう。
なので、身体の内側から自分自身を改善できる瞑想は本当に素晴らしい。
しかし、実際に体験しないと分からないので興味のある方は是非ともご自身の身体で確かめる事をお勧めします。