第51回職人起業塾振り返り

 

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11月の職人起業塾は、前日に突然依頼された機械装置の駆動部品交換を先方の都合により工期を1日短縮したお陰で生憎の不参加となってしまいました。

顧客の要望に寄り添う事を実行しておりますが、公差内に収まっていると言え納品されたままでは組み合わせる事が出来ない部品を、取り外した機械部品に組み付ける仕事に没頭していると、生涯で初めて腰痛になってしまいました。 

腰が痛いと思う様に動けないって本当だったのですね。腰痛のお陰で通常の6割位しか身体が動きませんでしたが、いつも以上に丁寧な指示を出すことで何とか納品を完了する事が出来ました。

周囲を巻きこむ力も自分の力の1つだと再確認できた良い経験です。

あなたの今を作ったこれまでの人生で起こった3つの出来事

個人事業で独立

20代の頃の私は、仕事に取り組む姿勢は怠惰で、勉強は全く出来ず、上司から仕事を指示されても出来ない理由を探してばかりのどうしようもない奴でした。20代の半ばを過ぎてもその様な姿勢だったので、当時の親方から「おまえとは一緒に仕事したくない」と宣告されてしまいました。

人の説明を聞いても、音は理解出来ても話している概念をイメージ出来ない、数学は2次関数は元より2桁の足し算すら怪しいと末期的な状態でした。 そんな私が何をトチ狂ったのかせっかく転職して採用されたランプ製造メーカーをを僅か3年で退職し個人事業で創業したのが1つめの出来事です。

 

会社を退職する事は簡単でしたが、退職した後に正社員のありがたさを痛感したのは今も記憶に残っています。 退職する前に、現在もお付き合い有る顧客の役職者の方から事業拡大で技術者が不足しているので、手伝ってくれるなら仕事をお願いするよとの言葉を頼りに起業しましたが、手元には退職前に振り込まれた約100万円の冬ボーナスしか資金が無く、創業準備にあっという間に消え去ったと記憶しています。

創業しても、資金が無い、自分の技術が足りない、人よりも秀でたアイデアも出ないと無い物づくしのなか、初めて自分の努力で生き残って行かなくてはならない状況に追い込まれそれまで逃げていた自己の向上に取り組む様になりました。

 

顧客から、「こんな案件があるけれどやってみる?」とお声が掛かれは、背伸びしてでも仕事を取り、納期間際には結果が不安で不眠症になる事も多々有りましたが、それ以上に仕事が途切れる恐怖から逃れる為仕事に逃げていました。

今振り返るとたいした技量も無い中、大きな失敗も無く、よく生き残ってこれたと不思議に思います。多分運が良いだけなのでしょうか、運も実力の内、否運こそが実力なのかも知れません。

放送大学に進学

30代になってから意識したのですが、私には学歴コンプレックスがあったので大学進学に憧れていました。 創業した同じ年に、勢いで通信制の「放送大学」に入学したのが2つめの出来事です。

放送大学は願書を送れば入学できる敷居のとっても低い、学費も卒業までに67万円位と言うお財布にも優しい、超お馬鹿さんの私にも門戸を開いてくれる有り難い大学です。 

職人として19歳からヘルメットをかぶり安全靴を履いて肉体労働に従事していましたが、体系的にまとめられた学問という物を学んだ事はありませんでした。しかし大学は通信制なので、自分のペースで学ぶ時間を調整できる理想的な環境でした。

しかし、実際に入学してみると卒業までに地道な単位修得を積み上げていかねばならず、仕事と定期試験のスケジュールや勉強時間の捻出など自分自身のセルフマネジメントが出来ないとすぐに脱落してしまう、結果が全ての厳しいシステムだったので卒業を目指す為に目標と計画を立てる事を覚えました。

創業して直ぐの頃は仕事も暇で、勉強時間を沢山取れたのも幸いし何とか4年で大学を卒業することが出来ました。今まで言い訳ばかりして長期間努力する事など有りませんでしたが、仕事と平行して学士を修める事が出来た事は「努力すれば結果が出る」と自分自身の自信に繋がりました。

 

大学卒業が射程圏内に入りその後の予定が立てられる様になった頃、以前友人から話しに聞き興味の有ったMBA進学を意識する様になりました。 意識するだけでは進学出来ないので、具体的に志望校を決定して、過去問を手に入れ、大学を卒業しても科目履修で在籍しつつ入試に向けて通信添削を受けるなど半年ほど準備を行い無事進学する事が出来ました。

その頃の私は38歳になっていましたが、人生で初めて大学の校舎で学べた事はとっても新鮮でした。

しかし、今まで職人として現場のタスクを如何に回すかという、手段、方法ばかりに注目していたので、馴れるまで経営に関わる概念を学ぶ場所では全く話の本質を理解する事が出来ませんでした。現場で顧客から得た業務を間違い無く遂行する事は大切だけど、近視眼的な物の見方考え方になっていると自覚しました。

 

また現場を知る職人こそが経営のプロセスや判断を学ぶ事により、今までとは全く違う世界が見えて来ると思うので何歳からでも遅くはないので勉強してみることをお勧めします。

never too late.   never give up.   just do it.

目標無しに達成無しと言う事を学ぶ事が出来ました。

薪ストーブ製作

3つ目は改善業務の作業に製缶作業があるので、その技能を使い自社の暖房用に1個作ったのが全ての始まりでした。

薪ストーブを作りだして一番変化したことは、友人が増えた事です。 それまでの私は友人と言える人が数人しかおらず、狭い世界の中で満足していました。

しかし、薪ストーブなどという不便きわまりない暖房器具に関わる様になってから不思議なご縁で魅力的な人達と出会うことが出来たのです。これが最新式のエアコンだったらここまで人と繋がる事は無かったと思います。

そして多くの人と出会うことで、それまでの狭い職人世界の中で囚われていた自分自身のちっちゃなエゴやプライドが実は自分をスポイルしているじゃ無いかと感じる様になり、少しずつですが確実に以前の私と思考回路が異なる物に変化したと思います。

 

放送大学に入学した頃の私と比べると、10歳ほど年は取りましたが、10年仕事だけに打ち込むより視野も交友関係も技能も思考力も比べる所が無い位向上したと思います。

初期の薪ストーブは民芸品に毛が生えたレベルでした。しかも、どのようにすれば効率が上がるのか理論も分からず、誰も教えてくれない中で試行錯誤を繰り返した結果、現在では世間に無い性能を作り出す事まで到達しました。

どのような性能かと言うと、温度変化の少ないゆっくり燃焼する薪ストーブです。

私自身工場の暖房に薪ストーブを使ってみると、1年も前から割って乾燥準備した薪があっという間に薪が燃え尽きてしまう事と、薪の追加が面倒で仕方ありませんでした。

 

そんな負担が何とか軽くならないかと漠然と考える薪ストーブユーザーの友人の話を耳にして、その様な装置を販売している業者はいないので自分で開発しようと思い立ったのが去年の冬でした。

薪の消費が早くても仕方無いと考える事は簡単ですが、出来る事から実験を来る返す事で徐々に突破口が見える様になってきましたが、最初は私自身半信半疑の挑戦でした。

この業務は先行事例が全く無かったですが、何とか開発に成功して現在テストを繰り返しています。

グラフは薪ストーブの燃焼温度のカーブの比較です。 

X軸が20分目盛り Y軸が100°単位の区切りです。そして山の下がった所がおき火になって薪を追加したポイントになります

多くの薪ストーブは薪の投入と燃焼で山形の温度変化を繰り返しているのです。しかし、弊社の技術で燃焼温度を均一化すると伴にゆっくりと燃焼させる事により薪の消費を減らすことに成功しました。

これにより、今まで私が抱えていた不満を解消出来ると伴に、その様な不満に気付いていない多くのクライアントの問題を解決出来る可能性を秘めていると考えます。

このような特徴を打ち出しているメーカーは私の知る限り存在していません。

ブランド名や、デザイン、値段競争の定義を、 実際に使った時の「使い勝手」に焦点を当て直し独自の価値提案を行う。 高橋塾長が繰り返し講義で教えて下さることを素直に実行すると、自然とこの様な結果にたどり着きました。

 

誰も気付いていないニッチなニーズに焦点を当てて、自社の卓越したUSP(特徴)を構築する考えは職人起業塾で繰り返し教わっている内容であり、行動と検証を繰り返すことで自分の中で理解が進みつつあります。

まとめ

今まで続く学びが、職人起業塾で教わるカリキュラムにより統合されて行っています。

いくら素晴らしい製品を作ることが出来ても、人に伝わらなければ無いのと同じですし、クライアントの言葉にならないニーズを抽出し、誰も気付いていない問題解決に挑むことで小さな分野でも圧倒的なポジション構築を行う一連の流れを実証している道中です。

今は偶然薪ストーブというツールで検証していますが、今回学んだフローは他の事にも十分転用可能だと考えます。

今回は幸運にも狙った性能を開発する事に成功しましたが、たとえ失敗しても失敗した原因を推測することで成功へ近づく事が可能です。 

 

しかし、限りある資源を投資して作り出す製品に焦点を当てるのでは無く、クライアントの心に焦点を当てるアプローチはこの1年で得た大きなギフトです

 

 

 

 

 

 

 

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