ヴィパッサナー瞑想10日間コースへ初参加
ブログの更新が過去最長期間ストップしていましたが、更新を忘れていたわけでは無く10日間の瞑想コースへ参加していました。
一応善良な市民として細々と事業を営んでおりますので、10日間も施設に籠るには処理すべきタスクも山盛りでブログに時間を割く精神的な余裕が有りませんでした。
参加の総括
まず結論から言えば思い切って参加して良かったと心の底から思える体験が出来ました。瞑想とは何なのか知らないままの参加申し込みだったので現場で習いながら知ると言う事になったのですが、事細かく事前の知識を持たなくて良かったと思います。
何故なら参加した人がそれぞれの練度と見ている物が異なり、器に応じた現象を修行から拾って行くので全く参考になりません。なので僕の感想もあくまで私の体験を通じた思い出であり、思い出は日々勝手に変化して行きます。
施設に到着する前に時間が有ったので、noteを検索し参加者の感想を読んだのですが消極的な記事だったので読むんじゃ無かったと後悔。
まず僕の言葉で感じた瞑想とは「自分の身体感覚に意識を向ける」と日ごろ合気道の先生よりご指導頂ている内容と非常に表現が近い物で,静かに座を組み自分の身体に起こる感覚に意識を向けて行くと言う一連の作業だと理解しました。
修行中は入り口でスマホと財布、車のカギを預け10日間は外部との接触しないので、帰宅してから2日間は若干修行ボケていましたが時間の経過と伴に元に戻って来たと感じます。
そして得られた成果で一番大きかったものは「家族との会話が増えた」です。特に娘たちが屈託なく話しかけてくれるようになった事が嬉しい。
僕は信心している宗教は無くて、いわゆる無宗教です。そして信仰とは神や仏を信じる事で何かしらの利益のおこぼれを願う事かと思っていたのですが、今回教わった話によると「神や仏が持つ慈悲や愛の灯を自分の心の中にも灯す」と言う考え方だったので非常にしっくり納得しちゃいました。 それなら僕の心にも光を灯したいですね。
修行内容
毎朝4時に起床して21時に就寝するまでタスクがびっちり決まっているので、のんびりする時間の余裕など有りませんでした。特に、外の世界では仕事に専念する事で自分の快適ゾーンに依存していた僕はひどいメンタルの落ち込みを6日目に感じました。
施設に籠っている事が原因なのか普段感じる事のない閉塞感と伴にやる気エナジーが一切湧き上がらず、言葉に出来ない苦しさが心の底から湧き上がって来ました。推測になりますが頑張りとは無関係の領域まで心が落ち込み、無理に鼓舞すれば立ち直ることが出来ないかも知れないと感じたので、ひたすらベットで眠り朝晩湯船に浸かって気持ちが折れない様セルフケアを行いました。
多分人生で一番心が落ち込んだ時間かと思うけど、「頑張る」ってまだ余裕がある人が口にできる言葉でその様なフェーズを過ぎちゃうとなるべく壊れない様にケアする事が最優先だと体験できた事が財産でしょうか。
無味乾燥な修行の中で見つけた楽しみは食事とお風呂でした。
特に朝昼と夜はバナナの食事は本当に楽しみでした。ベジタリアンメニューで基本的に甘いものが少ない中、唯一安定的に食べれる甘いものは朝食のイチゴジャム。
夜寝るとき、翌日のパンにジャムを塗って食べる事を想像するだけで嬉しくなるって相当病んでますね。期間中頃に1度だけ列に並んでジャムを待っていると丁度私の前でジャムが無くなった時の喪失感と言えば今でも切なくなります。
帰宅しての変化
生活のあらゆる場面で生きやすくなったことを実感します。
まず最初にご飯を味わって食べる事が出来る様になりました。僕は超早食いだったのだけど、口に広がるご飯の味に意識を向ける事無く胃袋に流し込むだけを考えていました。 ところが修行により口の中へ意識を向ける事を覚えたので色鮮やかに味を感じながら食事を楽しんでます。
規則正しい生活を送ったお陰なのか体調が物凄く良く、日常的に感じていた疲労感が消え去り意欲的に過ごせるようになったり、瞬間的にカッとなって気分が高ぶる事も激減。
以前は一体どれほどまでの出来損ないなの?と思えるくらい反応的だった自分に今やっと気づきます。
毎日10時間瞑想をしていたので、帰宅したら2度としたくないかと思っていたら身体が欲するので毎日朝晩40分程度静かに座って心を落ち着かせています。
以前までの考えではその様な時間は全くの無駄と思っていたのに、今はSNSなどに費やす時間を削減して座る時間を捻出してます。
最後に、通常過ごしている資本主義社会とは別のロジックで動いている世界を体験できたことは非常に幸運だったと思うし今年はあと1度位修行に行きたいと思っています。