自分の中心は自分であり、自分以外の誰も動かせない
とある2年前の昼下がり、試作品の薪ストーブにオーブンを取り付けに掛かっていた僕のスマホに1通のメッセージが着信しました。おもむろにスワイプして確認すると、差出人はいつも合気道でお世話になっている兄貴分的な先輩から。
溶接機のトーチを一旦置いて、メッセージを確認するとそこには・・・
西岡さん、技を覚えたいがために人を押しのけてしまっている場面や自分よりできない人と組んでいるときに上から目線になっているのをよく見るよ。足りないのは謙虚さと、道場全体への気配り!
激しいお叱りのメッセージがー(涙)
全てのカギは気づきから
あれから2年以上が経ち、今更ながら振り返ると自分自身本当にひどかったと思う!
長文の内容は全て事実だし、1つも反論出来ない。
でもねー
その様に気づくまでは世界の中心は自分なので、自分の理論が正当だと考え僕が正しくて、
先輩の事は理不尽に激怒を繰り返すおっかない人なんだと自分が納得出来るように都合良く曲解してしました。
大人になって叱ってくれる事がどれだけ有り難い事か理解できていなかった大馬鹿野郎の僕は、意を決した先輩からのアドバイスを、只の文句だと受け止めしばらくは目を見ることが出来ませんでした。
まるで高性能のVRの中で生活しているように、ぜーんぶ、自分の考えが世界の中心で、自分の見方が正しいと囚われ、違うんだよと親切に指摘してくれても器量がすっごく小さいから相手の気持ちを想像すら出来なかったし、自分の意見を正当化してくれる情報だけ都合良く選択していました。
身体も原因不明の慢性疲労が続いて、抜け毛、アトピー、頭痛なんかを我慢するのに日中ずっとイライラしていた。そんな心身の不調が永遠に続き、不調が当たり前になって、いつしかそんな事さえ考えなくなって日常の繁忙に身を任せているました。
そんな変える事なんか出来ない日常がある事をきっかけに少しづつ変化していったのです。 最初の変化は僅かでしたが、わずかな変化も継続する事で大きな違いにシフトしたと感じます。
きっかけ
いま思いつくきっかけは、去年3月に受けた合気道の昇級審査です。
ちゃーんと練習していなかったのでそれは無様な演舞でした。
先生の前で一人、嘘偽りの無い自分自身を晒すので言い訳が出来ません。
「いやーいつもの俺じゃないねん。実力が出せなかった。」
適当な言い訳を言って自分を慰め、同じ事を無自覚に繰りかえしてしまう所でしたが
「合気道だけじゃ無く、日常のあなたと一緒だよ!」あまりにも心の底に響く一言を別の人に言われて、生まれて初めて心の奥底に鉄槌を打ち込まれた感覚を覚えました。
先輩のアドバイスは頭に血がのぼる意識レベルの話でしたが、この一言は心の底に深く突き刺さって過去に無い位落ち込みました。まぁ、その後も何度かひどく落ち込む事が有りましたが、落ち込むと心がもの凄く動くので、回復する時に何かしらのギフトを手にします。
不思議な物で
自分から周りに「変わったでしょ?」と言っている間は自分自身作っているので全く変化していません、自分の意識でコントロールできる表面を操作しているだけだから意識が弱まればスグにいつもの自分です。
けれど、自分の中心が変わってしまえば、世界の見え方が変わるので自分を作る事も無くいつもの自分です。けれども、周囲から変わったよねーと言われる。 いつの間にか中心が移動しているので自分自身変わった事に気付けない。
なので、周囲との関係性が改善され毎日が楽しくなってくると、昔からこうじゃ無かったかなー?と自分勝手に良い方へ解釈したくなります。
まとめ
今も落ち込んだり、ふてくされて寝るなんて普通にあるけれど、以前に比べて毎日が凄く楽しくあっという間に過ぎ去ります。
日常の仕事で、プレッシャーが掛かる場面などでは、頭で考えて自分を縛るんじゃ無く、なるべく考えないようにして身体から発する閃きや直感を大切に行動すると上手いこと行くようになりました。
身体感覚を大切にするようになると、抜け毛が止まって髪の毛が増え、乾燥肌から来るアトピーも治り、慢性疲労も消えちゃいました。
心の中心が変わるだけでこんなに世界が変わるなんて!未だ変化の入り口だけど、3年前に比べてはるかに毎日が楽しくなりました。
ちなみにこの話を妻にすると「変わったんじゃなくて、元々変人なんじゃない?」と喝破されます。